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あれこれ

明石公園

 明石城跡を中心に、面積54.8haの広さをもつ『県立明石公園』。動植物の豊かな自然にあふれ、人々に四季の訪れを教えてくれます。
 明石城の別名は「喜春城」。これは「天子南面貴春」のことわざにある「貴春」にちなんだもの。「春、草木が育つよう天子は万物の生育を喜ぶ。城主もこの心で人民に尽くす」の意味だそう。この命芽吹く春、園内至るところに植えられた、限りなく白に近い清楚な桜色のソメイヨシノも一斉に咲き始めます。その見事さは「日本さくら名所100選」にも選ばれるほど。特に「剛の池」池畔の桜並木には素晴らしいものが。ボートに乗って行楽シーズンにゆったり過ごす人たちの姿もあります。
 南側の正面入り口にある銅像は、明石の水産業や街の発展に尽くした功績で昭和3年に明石市によって建てられた「中部幾次郎翁銅像」です。明石城は、豊臣滅亡後の1619年の築城で天守台は造られましたが、初めから天守閣は持ちませんでした。本丸の四隅には三層の櫓が造られましたが、維新後に壊され、現在に残るのは南東にある巽櫓と、南西にある坤櫓で、国の重要文化財に指定されています。
 園内には明石の町割を行ったとされる宮本武蔵の庭園を再現したものや、太鼓を打って時を知らせる、侍姿の動く人形など歴史を知らせるもののほか、子どもの村や、広場、また明石市立文化博物館などもあります。

明石城公園  時太鼓

 

魚の棚

 徳川幕府2代目将軍が明石城築城を初代明石城主の小笠原忠真に命じたのが約390年もの昔。そして築城と同時に城下町の整備と明石港の建設が進められ、剣豪・宮本武蔵によって町並みが整えらえました。規則正しく線引きされた町のうち、鮮魚・練り製品を扱う東魚町、干物の問屋や小売店が集まる西魚町とを合わせ「魚の棚」が誕生。
 この明石を代表する商店街を、地元では「うおんたな」と呼び親しまれてきました。地元の海で獲れる新鮮で生きのいい魚「前もの」が魚の棚近くの卸売り市場などで競り落とされ、すぐに昼網として店頭に並びます。なかでも美味しいタイやタコは明石の名物とされ、地元の人はもちろん、それらを求め観光客も多く訪れます。特に年末になるとアーケードから大漁旗が垂れ下がり、塩焼きのタイや焼きアナゴの匂いが通りに立ちこめ、普段にも増して威勢のいい掛け声が飛び交います。

魚の棚